憲法記念日なので、日本国憲法についての現時点での自分の考えや立場をまとめてみる。
憲法は聖典ではないし、見直すべき条文はあると思っています。たとえば第1章、第24条、第27条、第30条。
とくに第1章は、削除も含めて議論すべきだと思います。
ただし、天皇制廃止や天皇制批判には、部落差別に抗してきた人びと、在日コリアン、琉球/沖縄、アイヌの人びとをはじめ、天皇制と日本の植民地主義・同化政策・戦争責任・差別の関係を問い続けてきた人びとの長い蓄積があります。ヤマト側/本土側のマジョリティであるわたしがこの議論に踏み込むとき、その蓄積を見えなくしたり、自分たちの「進歩的」な議論として回収したりしないようにしなければならないと思っています。
第24条についても、保守的な家族観へ戻す方向ではなく、個人の尊厳、ジェンダー平等、性的指向・性自認・性別表現・身体の性の特徴に基づく差別の禁止、LGBTQ+の人びと、とりわけ現在とくに攻撃の対象にされているトランスジェンダーの人びとの権利保障をより徹底する方向で考えるべきだと思います。
第27条の「勤労の義務」や第30条の「納税の義務」については、そもそも憲法にそのような「義務」として置かれていることに反対です。人の生存や権利は、働くことや納税することの対価として認められるものではありません。障害、病気、ケア責任、困窮、その他さまざまな理由で働けない人、働かない人、納税できない人、納税を当然視される枠組みから外れる人を、「義務を果たしていない人」として劣位に置く論理につながりうるからです。生産主義、能力主義、自己責任論によるスティグマ化や、権利の縮減、差別、排除を正当化する危うさがあるため、見直す議論が必要だと思います。
わたしは自分のことをいわゆる「護憲派」とは言えないと思っています。ただし、自民党や維新を含む右派・極右勢力にいじってほしいわけではまったくないです。
憲法改正の議論がありうるとしても、それは国家権力を強めるためではなく、人権、反差別、生活の保障、脱植民地化、ジェンダー平等、LGBTQ+の人びとや障害者、ニューロダイバージェントな人びとの権利、先住民族の権利や自己決定権をより強くする方向でなければならないと思っています。
公正な議論は必要だと思います。しかし、権力側による改悪を「議論」と呼ぶことには反対します。
補足ですが、第98条第2項や第99条も、現実の行政や司法の中で空文化しかけていないかを考える必要があると思います。国際人権規約、子どもの権利条約、難民条約等を誠実に遵守する義務や、公務員の憲法尊重擁護義務が、政府、入管、福祉行政、警察、裁判所の判断の中で本当に機能しているのか。
加えて、そもそも、憲法上の人権や生活保障が「国民」を中心に語られることにも違和感があります。国籍や在留資格、市民権の有無によって、生存、尊厳、家族、住居、医療、教育、安全へのアクセスが左右されるべきではないです。国民国家の枠組みそのものが、人権保障を狭めてしまう危うさも考える必要があると思います。
さらに、先住民族の自己決定権については、日本国憲法の枠内で「マイノリティの権利」として扱えば足りるものではないと思っています。日本国憲法がどうあれ、先住民族の自己決定権、土地・言語・文化、政治的参加、自由意思による事前の十分な情報に基づく同意は尊重されなければならないです。むしろ、日本国憲法という国民国家の枠組みそのものが、先住民族の自己決定権との関係でどのように位置づけられるのかを問う必要があると思います。
そして、改憲論議を「公正な議論」と呼ぶなら、フェイクニュースやSNS上の世論工作、資金力や組織的拡散によって「世論」が作られる危険にも向き合う必要があると思います。
もう一つ、憲法論議で忘れてはいけないのは琉球/沖縄のことだと思います。
1945年12月の衆議院議員選挙法改正で、米軍政下にあった沖縄は日本政府によって施行の例外扱いとされ、新憲法を審議した衆議院に沖縄選出議員はいませんでした。講和後、「復帰」まで沖縄では日本国憲法は適用されませんでした。
そして「復帰」後も、基地の集中、日米地位協定、米軍関係者による事件・事故、環境汚染、辺野古新基地建設をめぐる民意の軽視を見れば、沖縄に憲法上の権利保障が実質的に及んでいるとはとても思えません。
第1章の天皇制、第9条、琉球/沖縄の軍事化は切り離せません。天皇制を存続させた戦後憲法秩序、第9条による本土側の「平和国家」像、そして琉球/沖縄の切り離しと米軍基地化は、別々の問題として扱えないと思います。1947年のいわゆる「天皇メッセージ」は、天皇制の存続や本土側の戦後処理が、琉球/沖縄の軍事占領と基地化の問題と結びついていたことを考えるうえで避けられない資料です。だから、第9条を単に「平和憲法」として語るだけでは足りないと思います。誰の平和が、誰の軍事化の上に成り立ってきたのかを問う必要があります。