2025.08.21: メモ13.の意図を少し明確にするために追記。自分のテキストの出典をより明確にするために追記。
パレスチナ、日本の帝国主義・植民地主義の歴史と今の日本、カリブ海思想・文学、フランツ・ファノン、連帯、内省…
注:この作品とそのプログラムノート、そしてこのメモの内容の責任はすべて作曲者であるわたしにあります。2025年7月25日までに書いたものなので、最新の情報や議論に追い付いていない部分もあると思います。(参照資料の内、無料で読めて理解の一助として適切だと思ったものは、7月25日以降のものもあります。)
00. 前口上
このわたしの書こうとしているテキストはトキシックではないか、およそ1年と9か月(2025年7月25日までの時点)を経た今のわたしの心情を垂れ流すというのは。ただの自己満足ではないか、ただの自己憐憫ではないか。そう自問しながら記す。
但し、このテキストはこの作品の解釈を限定させるものではなく、この作品やわたしの内面、わたしの見えている世界、そして世界自体の複雑さや複数性、交差性を提示しようと試みるものである。ここでは書ききれない/書いていないことも当然ある。
01. 「とどめを刺す」その1
この作品はわたしとわたしの心に「とどめを刺す」ために書く/書いた音楽でもある。
02. 記憶
1990年代、無知な小学生だった時のわたしはニュースを見つつも、でもパレスチナはきっと良い方向に向かうだろうと無邪気に考えていた。2002年から西岸地区に分離壁が建設され始めた。
わたしが中学一年の時、IDFがガザ地区で行っていたパレスチナ人の家屋の破壊に対する抗議として、レイチェル・コリー(Rachel Corrie)は人間の盾として装甲ブルドーザーの前に立ちふさがり、そして轢かれて亡くなった。その2年後にイスラエルはガザから入植者と軍を撤収したが、空域・海域・国境の管理は維持され、2007年に実質的な封鎖が始まった。
それから18年経った。
――わたしはその間、何をしていた。
03. 10.7以降
徒党を組んで活動することに困難さを感じる自分なので、あくまで個人としてだが、10.7以降、穏健だが勇気のある市民有志や在日パレスチナ人たちが主催する都内の非暴力のパレスチナ連帯デモに行けるときに参加する、関連イベントに参加する、身元の確認を取れているガザの人に寄付をする(しかしほんの少額しかできないし、時々しかできない…)、パレスチナ人生産者が作ったものを買うことやパレスチナ人アーティストが作った作品を鑑賞することを通して支援する、政府や関連省庁へ意見送付する、署名に協力する、BDS運動に則って可能な限りボイコットをする、ツイッターで情報を共有したり時々コメントする、といったことをしてきた――だが、その程度のことしかできなかった(しかしそれらを行うことができてきたのも、わたしが持つ特権性という面も勿論ある。)
ガザは「破壊」され続けている、人も動物も文化も歴史も自然も環境も。
04. 可視/不可視
欧米人が犠牲になると大きく報道される(レイチェル・コリーの事件のように)。また、パレスチナ人でも国際的に著名な人物なら報道される(『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない 〔No Other Land〕』の共同監督ハムダン・バラル〔Hamdan Ballal〕の暴行・拘禁事件のように)。しかし、名もなきパレスチナ人が日常的に受ける暴力や拘禁、そして殺害はほとんど報道されない。ガザや西岸地区といった占領地に限らず、イスラエル国内のパレスチナ系イスラエル人も抑圧や暴力にさらされている。ガザで殺戮された人々も多くは数字としてしか報じられない。そのひとりひとりにそれぞれの物語がある/あったのに。
ジョージ・フロイド(George Floyd)の殺害の5日後に、東エルサレムでイヤード・ハッラーク(Eyad al-Hallaq)――彼はAS(D)だった(これはわたし自身のマイノリティ性とも関係がある)――がイスラエルの警察に射殺された事件があった。近い日にちの出来事であったからか、BLM運動では「Palestinian Lives Matter」やイヤード・ハッラークの写真も掲げられることもあった。しかし、それでもパレスチナ人への冷淡な見方や「奴らは野蛮」、「あいつらは動物だ」(=非人間化、これは種差別的思考でもある)であるというレイシズムは無くならなかった(この件に関しては、早尾貴紀・呉世宗・趙慶喜 著、『残余の声を聴く 沖縄・韓国・パレスチナ』内で早尾が詳しく論じている)。
05. 誰のため?
パレスチナ国家承認自体は1つのステップとして良いと思うが、パフォーマンスに過ぎないイスラエルやアメリカら側に都合のいい条件による国家承認、占領と抑圧の継続・常態化につながる国家承認には賛同できない。なぜジェノサイドを止めるために、今すぐイスラエルへの武器供与を止めない、制裁をしない。なぜシオニズムを批判しない。
なぜ先住民であるパレスチナ人の自己決定権を、権利を認めない。なぜアパルトヘイトを廃絶しない。
加えて、イスラエルの傀儡となっている西岸の自治政府が、自らの金と権力の維持、安寧のために、反抗的なパレスチナ人を弾圧していることにも目を向けよ。
(しかし、わたしは「(近代)国家」という型にも疑問を持っている。)
06. 追放
イスラエルはガザからすべてのパレスチナ人を追放*しようとしている――ガザ北部の住民を南部へ、全住民をガザ地区の外へ、シナイ半島やエジプトなどへ。一方で、西岸地区も入植地や分離壁、入植者専用道路などがどんどん造られている。これが続いていく結果として、パレスチナ人居住地が縮小・細分化されていき、西岸地区の中にいくつかの「ガザ地区」が生まれ、そしていずれ現在のガザの状況のようになるだろうと指摘する人もいる。
「女たちはオレンジを手にして戻ってきたが、その時女たちの泣く声がきこえた。(…)それらのオレンジの木、一本一本がきみの父さんの顔に刻まれていて、国境監視所の将校の前に立った時でさえも、おさえることのできなかった彼の涙の中に、まだ去りやらずに残っていた。」(ガッサーン・カナファーニー 〔Ghassan Kanafani〕 著、黒田寿郎・奴田原睦明 訳、『悲しいオレンジの実る土地〔The Land of Sad Oranges〕』、河出文庫『ハイファに戻って/太陽の男たち』内収録、p.109)
*イスラエル出身の歴史家・政治学者のイラン・パぺ(Ilan Pappé)はこれまでも様々な形で――1948年のナクバでも、1967年の第三次中東戦争でも――それを実行したと指摘している。当然のことだが、これは民族浄化である。詳しくは、『パレスチナの民族浄化 イスラエル建国の暴力(The Ethnic Cleansing of Palestine)』(イラン・パペ 著、田浪亜央江・早尾貴紀 訳)や、『現代思想2024 vol.52-2』内の、『なぜイスラエルは対ガザ戦争において文脈と歴史を抹消したがるのか』(イラン・パペ 著、早尾貴紀 訳)を参照。
07. 加担
欺瞞に過ぎなかったオスロ合意と二国家解決に固執する日本政府。「平和と繁栄の回廊」構想は、占領構造を変えないまま経済支援を行う点で、サラ・ロイが指摘する「de-development(反開発)」的な効果に結びつきかねない。*
イスラエルの軍需企業からの攻撃型ドローンの導入を検討している防衛省と、その輸入代理店として購入しようとする川崎重工、住商エアロシステム、日本エヤークラフトサプライ、海外物産。** また、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が年金積立金をイスラエル国債やジェノサイドに加担している企業に投資している。***
バクー・トビリシ・ジェイハン(BTC)石油パイプラインを通じてイスラエルに大量の石油が輸送され、それはジェノサイドのための燃料として使われている。BTC石油パイプラインは主にBP社とSOCAR社が運営しており、日本の伊藤忠商事とINPEXも出資している。****
イスラエルのアートウォッシングに加担する文化・芸術機関――サントリーホールも今年の6月にそれを行った。*****
なぜ、パレスチナ人が声を挙げられる場を作らないのか。当事者が主体的に参加できる場こそ必要だ(但し、その場がパレスチナ人の「アンペイドワーク」にならないように)。
*「de-development(反開発)」についてはサラ・ロイ 著、岡真理+小田切拓+早尾貴紀 編訳、『なぜガザなのか パレスチナの分断、孤立化、反開発』を参照。「反開発」と「平和と繁栄の回廊」構想の関係については、「ゴーストマガジン」の下記の4つの平井康嗣と小田切拓による記事を参照:
https://note.com/hirai_yasushi/n/n649ba75c3049
https://note.com/hirai_yasushi/n/n4ffd560cb713
https://note.com/hirai_yasushi/n/n6996a56370ee
https://note.com/hirai_yasushi/n/n9e257ec039ee
**この問題についてChange.orgで署名運動が展開されている:https://chng.it/RBP7RvQwny
***参照:https://s-newscommons.com/article/7849
****参照:https://chng.it/rGqGRdXnc8
*****サントリーホール主催、イスラエル大使館後援の演奏会のこと。参照:https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/schedule/detail/20250619_S_3.html
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/schedule/detail/20250621_S_3.html
08. 連帯について
パレスチナと共に立つことは、先住民の権利、脱植民地主義、反レイシズム、「障がい」を「持つ」とされる人の権利、女性の権利、セクシャルマイノリティの権利、労働者の権利、核廃絶、環境保護と気候正義などの運動と連帯していくことでもある。
グレタ・トゥーンベリ(Greta Thunberg)は言う、「私たちが立ち上がっているのは、あらゆる人間にとっての正義、持続可能性、そして解放のためです。社会正義なくして、気候正義はありえません」。(中村峻太郎による訳、https://ship-and-wind.com/2025/06/04/thunberg-aboard-gaza-flotilla/)
09. ヌール・ヒンディのまなざし
ヨルダン出身でアメリカ在住のパレスチナ人、そしてクィアの詩人であるヌール・ヒンディ(Noor Hindi)の『技巧の講義はクソどうでもいい、私の仲間が死んでいる(Fuck Your Lecture on Craft, My People Are Dying)』という詩がある(https://www.poetryfoundation.org/poetrymagazine/poems/154658/fuck-your-lecture-on-craft-my-people-are-dying)
2020年12月に発表された詩だ。『現代詩手帖 2024年5月号』において、この詩を日本語訳し、紹介した小磯洋光の解題に則ると、この詩にはパレスチナ人たちが殺され続けている現実を見ずに、西洋的な「技巧」による詩情の追求にかまけている者たちへの苛立ち、美を作り出すために「死」を利用する傲慢さへの非難、パレスチナルーツを持ちながら「仲間」を殺戮する行為を支える国に暮らしているという自分の存在的な矛盾が込められている。
わたしは詩人ではなく作曲家だ。しかし、この詩に込められた意味、そして怒りと悲しみを含む感情は、ヨーロッパクラシック音楽とその文脈の上にある現代音楽の領域で活動している日本人の作曲家であるわたしのことも、当然まなざしているだろう。
10. 「わたしたち」へのまなざし
イスラエルは入植者植民地主義による「国家」である。「日本人」であるわたしがパレスチナ/イスラエルを見ることは、自国の帝国主義・植民地主義の歴史と、今も続く差別や抑圧にも向き合うことでもある。その歴史や天皇制に「戦後」の日本は本当に向き合ってきたのか?向き合え切れなかったことが、部落や在日コリアンなどへの差別が残っていることであり、十数年前から徐々に発露してきたネイティビズムやショーヴィニズムの台頭の要因の一つではないだろうか?
そして、では、アイヌや琉球民族、サハリン/樺太やクリル/千島列島――そこに暮らしてきたレブンモシㇼウンクル、ニヴフ、ウィルタなどの人々、さらに東アジアや東南アジア、太平洋の島々(かつて「南洋諸島」とされた)の人々、加えてそれらにルーツを持ち、現在日本に住む人々に、今「わたしたち」はどのようにまなざされているのか?「わたしたち」は今一度自身をまなざなければならない。
11. 覆い隠すこと
緑の植民地主義の概念において、イスラエルがやっていることは、日本がアイヌモシㇼに対して行ったことを特に想起させる。
例えば、イスラエルは1977年に自然保護法の名のもとにパレスチナ人が伝統的に食べてきた野草であるザアタルとアックーブの採集を禁止した。* 明治政府は「資源保護」を名目にアイヌのサケ漁を禁止して伝統的な生活スタイルを壊した(入植者である和人による乱獲が原因でサケの水揚げ量が激減したのが「資源保護」の背景)。アイヌのサケ漁に関して、サケ漁を行う先住権の確認を求めた訴訟は2024年4月18日の札幌地裁で退けられ、現在控訴審中だ。
イスラエルの「砂漠の緑化」は、パレスチナ人の追放、村々の破壊、そしてオリーブなどの伐採による文化的景観と「土地の記憶」の消去を覆い隠している。**
環境保護という「美しい」物語が暴力を覆い隠すことに利用されている。
*自然保護法によるザアタルとアックーブの採集の禁止とその実態は、《Foragers ~ 採集する人々》(監督:ジュマーナ・マンナーア Jumana Manna)で詳しく描かれている。参照:https://honjopalestine.themedia.jp/posts/56347029
**参照:https://jp.mondediplo.com/2024/11/article1577.html
12. 想像力と「第二世界」について
中村隆之の『第二世界のカルトグラフィ』という本で、「第二世界」という言葉を知った。パトリック・シャモワゾー(Patrick Chamoiseau)の『カリブ海偽典 最期の身ぶりによる聖書的物語(Biblique des derniers gestes, Gallimard)』に出てくる言葉だ。
「原則――第二の世界が存在する。人間本性の粗暴さのせいで、それは私たちから隠されている。それは大陸ではない。島ではない。人間たちが国境線で囲み、旗を打ちたてた土地ではない。それはいくつもの〈場所〉なのだ。」(パトリック・シャモワゾー 著、塚本昌則 訳、『カリブ海偽典 最期の身ぶりによる聖書的物語』、p.636)
中村によると、「第二世界」とは普段、わたしたちの想像力からは隠されている未知の場所だ。「そこは、理想社会の夢が潰えたあとに、なおも人々のうちに必要とされるユートピアであり、『国家でも、故郷でも、国でもない』ものとして存在する。(…)わたしたちは、第二世界を探しに遠くまで出かける必要はない。その〈場所〉は実はとても身近なところにある。」(中村隆之 著、『第二世界のカルトグラフィ』、p.8)
「第二世界はさまざまな〈場所〉から成り立っている。
そしてそれらの〈場所〉はさまざまな面からできている。
派生的命題――面はつねに、第一世界と第二世界のあいだの境界領域にある。その境界は不確かなものだ。」(『カリブ海偽典』、p.636)
「第二の原則――これらの〈場所〉は国家でも、故郷でも、国でもないことに注意しなければならない。
〈場所〉は横断可能であり、こちら側にある。
〈場所〉は群島の形に並んでいる。
〈場所〉はここから始まり、あそこまで続き、下側を通って延長され、いくぶん高いところに広がり、至るところに現れ、漂っている。発見すべき法則に従って、広がり、響き合っているのだ。
派生的命題――群島の定義=第二世界の感知可能な形状。それは雲と風でできた、第二世界の脊髄だ。全体をまっすぐ立てるのだが、それを広がりにおいて表現する、そんな椎骨だ。」(『カリブ海偽典』、p.657-658)
第二世界の〈場所〉を探すことが、即ち、想像力を取り戻し、想像することをし続けるための「裂け目 opening」を探すことにならないだろうか?これは安易な結び付けだろうか?
わたしにとって〈場所〉はどこに見いだせるだろうか?どのような形なのだろうか?「彼」は「第二世界は、世界の不透明さのなかにある!……」と小さな赤い手帖(=第二世界の〈場所〉の手帖)の片隅に記した。
13. 連帯について、歩くことについて
「否、われわれは何者にも追いつこうとは思わない。だがわれわれはたえず歩きつづけたい、夜となく昼となく、人間とともに、すべての人間とともに。これはキャラヴァンをやたらに引きのばさないということだ。というのも、これを引きのばした場合には、ひとつひとつの列の者は前列の者がほとんど見えなくなるであろうし、もう互いに相手を認めえぬ人びとは、ますます出会うことも少なく、話すことも稀になるであろうから。」(フランツ・ファノン Frantz Fanon 著、鈴木道彦・浦野衣子 訳、『地に呪われたる者 Les Damnés de la Terre』、p.312)
——また… あるいは… 一方では… そして… それとも… でも… いや…——
「これからも変わっていく彼らに、私は近づき、出会い、分散し――ある時は同じ道を一緒に歩くことを試し、またある時は再会を予期しながら離れた道を歩くことを試しながら、変わっていける。それは必ずしも連々と続くものではなく、間欠的で思いがけない瞬間に起こることもあるだろうが、私は歩いていたい。」(昨年書いたわたし自身の文章、『道、海、過程、変化』(Mercure des Arts内の「五線紙のパンセ」の連載)より、https://mercuredesarts.com/2024/11/14/pensees-road-sea-process-change-kuroda/)
14. 「とどめを刺す」その2
辞書を引くと、「とどめを刺す」という意味には、以下の意味で使われる場合もある。
「それに限る。それがいちばんすぐれている。『花は吉野に―・す』」(https://kotobank.jp/word/止めを刺す-584243)
「この作品はわたしとわたしの心に『とどめを刺す』」というのは、無力感に苛まれ、思考を停止してしまいそうになる、その安易な感傷や自己憐憫に「とどめを刺す」と同時に、この現実から目を逸らさないこと、忘れないこと、考え続けること、そして、たとえ微力でも行動し続けること、作曲家として、一人の人間として、この問いを作品として刻みつけることである。それが今のわたしとわたしの心にとって一番最良の選択ということである。