「平和憲法」を守る・「反戦」、その前に——琉球/沖縄差別、アジア差別と植民地主義を問う

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4月8日、WE WANT OUR FUTUREと憲法9条を壊すな!実行委員会が主催する「平和憲法を守るための緊急アクション」がありました。ここ最近、わたしが見てきた「護憲」「反戦」「平和」を掲げるデモは、参加人数がどんどん増えており、今回もペンライトや架空の団体のノボリなど、これまでのデモとは異なるお祭り的な雰囲気もあり、その光景には率直に感動しました。

しかし、日本国籍を持つヤマト民族の一人として、つまり、先住民族である琉球民族の土地である琉球/沖縄に基地を押しつけ、その犠牲の上に「平和」を享受してきた側の人間として、そのフレーミング――「平和憲法を守る」「9条守れ」「憲法変えるな」――には、やはり乗り切れないです。先月3月19日の議員会館前19日行動で感じた違和感が、今回も続いています。

そのため、パレスチナ連帯や入管抗議、非正規滞在者・難民支援などをやっている人たちが企画してくれた「沖縄を攻撃目標にしない 国会前ビラ配りアクション」にわたしは参加しました。「『本土』から沖縄に米軍基地が押し付けられ、今もその構造を維持しようとしている『平和』を問い直したい」という趣旨のもので、こちらなら参加できそうだったからです。

これは、琉球/沖縄の人びとに向けた文章ではなく、本土=ヤマト側に生きるわたしたち自身に向けた問いです。

琉球/沖縄への基地集中と軍事化を問わないまま、「護憲」を訴えるとき、守られているのは誰の「平和」なのでしょうか。1609年の薩摩藩による琉球侵攻、1879年の琉球処分以来、ヤマトは琉球の自己決定権を奪い続けてきました。沖縄戦、米軍占領、そして1950年代、日本本土での反基地運動の高まりなどにより本土の基地が縮小し、逆に琉球/沖縄では本土からの移転などで基地が増加したこと。その際、本土では「沖縄に持っていくな」という目立った反対運動は起きていない、という指摘もあります。「本土復帰」後も基地負担は続き、琉球弧の軍事化は進んでいます。この構造を問わないまま「護憲」を叫ぶことは、本土=ヤマトだけの「平和」を再び肯定することにならないでしょうか。

デモでは琉球/沖縄の人のスピーチもありました。しかし、基地集中や軍事化というヤマトの加害構造・植民地構造そのものが問われないまま「沖縄の声」を置くことは、わたしには「参加」というより、「配慮」しているように見せる機能を果たしているように見えました。琉球/沖縄の人たちや運動が要求していることを聞き、その要求に本土に生きるわたしたちの責任から応答し、自分たちの問題として引き受けて語ることが、連帯には必要なのではないかと思います。琉球/沖縄の人たちや運動が何十年も声を上げていたのに、本土に生きるわたしたちがその声を聞いてこなかったことを忘れてはいけません。

この「平和」が犠牲にしているのは琉球/沖縄だけではありません。日米の安全保障構想は、米中対立のなかで琉球弧の軍事化(南西シフト)に加え、韓国、台湾、フィリピンを前線として位置づけ、軍事的負担と危険を周辺国・地域へ転嫁することで維持されてきました。9条が守ってきたとされる「平和」は、こうした負担の転嫁の上に成り立ってきたのではないでしょうか。そのことを考えない、あるいは考える必要すら感じていないように見えることは、琉球/沖縄の人びとやアジアの人びとを対等な立場の人間として見ていないことの表れではないでしょうか。琉球/沖縄差別であり、アジア差別です。

これは本土中心主義の問題であると同時に、ヤマトによる琉球への植民地主義の問題です。わたしは9条を含む反戦の原理を軽視したいのではありません。しかし、「護憲」が現行憲法全体の絶対視へ傾くとき、第1章の天皇制まで含めて守る語りになり、帝国主義・植民地主義の責任や家父長制の問題を凍結してしまいます。護憲運動や平和運動がこの植民地主義、そしてアジアへの差別構造と向き合わない限り、それは他者の犠牲を前提とした「平和」の追認を意味しかねません。

もうひとつ、感じたことがあります。

イスラエルとアメリカによるイラン攻撃によって拡大した戦争は、4月9日時点で「停戦」の対象にレバノンは含まれず、攻撃は続いています。パレスチナに対する占領、入植、アパルトヘイト、そしてガザにおけるジェノサイドを含む、イスラエルの加害も止まっていません。国会前でも「No War」の声が上がっていました。しかし、「戦争反対」という気持ちの表明だけでは、戦争やその拡大を止めることも、日本政府や企業の加担も止めることもできません。ここでいう「日本」がそれに「巻き込まれること」とは、生活に大きな影響を受けることだけでなく、戦争や加害構造に組み込まれていくことでもあるはずです。そのことを自覚しないといけません。

やはり具体的な要求が必要だと思います。例えば、日本の年金積立金(GPIF)のイスラエル関連企業への投資引き揚げ、イスラエルからの武器・デュアルユース製品の取引停止、イスラエルに対する経済制裁の実施などです。これらは、日本政府が実行可能な具体的な政策変更でもあり、BDS運動も含む日本のパレスチナ連帯運動がすでに主張・要求してきたことでもあります。そしてこれらの要求は、イランへの攻撃を止めることだけでなく、イスラエルによる周辺国への攻撃の停止、そしてパレスチナの解放につながるものだと思います。

「戦争反対」を掲げ続けることは大切です。しかし、具体的な要求を設定し、それを実現する経験を積み重ねなければ、運動は「気持ち」の表明にとどまり、持続しないのではないでしょうか。何を、誰に、どう要求するのか。そこまで踏み込んで初めて、「No War」は力を持つと思います。